最後の言葉
長い戦いの日々が過ぎた。
一進二退。じりじりと病状は悪くなる。
母とボクと舞子さん、みんなで泣く
機会もどんどん増えていった。
投薬と対処療法との繰り返しの中、
美月がまともに意識を保てる時間の方が
少なくなっていた。
そんな中、大事故が起きた。
その日の美月は
久々に痛みも無く、意識もはっきりしていた。
少し歩こうと思ったのか、ベッドを降りようとしていた。
その刹那、誤って滑落してしまったのだ。
ボクもちょうど病室から離れていて
目が行き届いていなかった。
病室に戻ると床に美月が倒れていた。
急いで看護師を呼びつけた。
結果、脊椎を損傷し神経が傷ついてしまった。
普通ならどんなに打ち所が悪くても
せいぜい捻挫程度だろう。
しかし、美月の骨はかなり脆くなっていた。
病巣が脊椎を深く侵食し始めていた。
検査の結果、これまでの薬がほとんど
効いていないことも分かった。
美月はたぶんもう歩けない。
そして薬はほとんど効いていない。
手術も無理だろう。
しかし諦めてはいけない。
ボクが諦めたら終わりだ。
朦朧としている美月の意識を
闇の中から強引にひっぱり上げる。
耳元で大きな声を出し、名前を呼ぶ。
頬を軽く撫でながら手を握る。
深い湖の底から
ゆっくりと浮上してくるように
両瞼を開いた。
「ありがとう」
「うん?・・・何がありがとう?」
「あたし、かなちゃんが居たから幸せだった」
「何言ってるんだ。これからも楽しいことが
たくさんあるんだぞ」
指と指を合わせて、ぎゅっと手を握る。
美月の左手は蝋人形のように白く
そして冷たかった。
「うん・・・。わ、かった」
にっこりと笑顔になった。
「退院したら何がしたい?
何でも好きなことさせてあげるぞ」
「桃が食べたい。
お母さんとかなちゃんと、3人で行きたいな桃狩り。」
「よしよし、どこでも行くよ。母さんも次は強制参加だ」
ボクも笑顔で返す。
美月の瞼が閉じようとしていた。
それでも口をパクパクさせ
何か言いたそうにしていたので、
口元へぐっと耳を近づけた。
「ありがとう。大好き。」
本当に微かな囁き声だった。
両の目が完全に閉じられ
静かな寝息とともに無意識の深淵に
落ちていった。
そしてこれがボクと美月が交わした
最後の言葉になった。
* * * * * *
~ 七日記 後記 ~
不思議な縁でボクの人生の途中から妹となり、
そしてボクより先に逝ってしまうという
数奇な時間が駆け抜けて行きました。
あれから年単位の月日が経っていますが、
今でも彼女が居ないことは頭で理解できても、
まるで実感がないの本音です。
きっとこれから時間をかけて
じんわりとその寂しさと悲しさが
湧いてくるのでしょう。
実際は苦労ばかりが先にたちましたが、
居なくなってみると、とても多くの幸せを運んで
来てくれていたんだな、と心の底から痛感しています。
そして、たくさんの写真を掘り返してみて
また改めて彼女のことを思い出すことができる。
これも写真の偉大さでしょう。
実は動画もあったりするのですが
なぜか写真の方が記憶に残っています。
瞬間を大切に想う心が
きっとその一枚に宿るからなんでしょう。
これまで撮った彼女のたくさんの写真がある限り
想い出と共に生き続ける。
そんな月並みな台詞しか出ませんが
心の整理の仕方なんて、そんなものかもしれません。
ボクが写真を撮るという行為そのものは
実は「オマケ」でした。
美しい自然や女性、かっこいい乗り物やシーンを
撮りたいという希望はありますが、
それは目的ではありませんでした。
ただひたすらその瞬間をそのままに、
そして後に振り返った時に
情景が頭の中に浮かび上がってくる。
そんな写真を目指し、親しい人との時間と空間を写し込む。
そういうイメージを無意識に目指していました。
それはとりもなおさず、
「彼女との想いを残したかったから」
そのためだけでした。
大変ありがたいことに、
ボクの写真をご覧になった方から
「ストーリー性がある」「物語が見える」
というもったいない褒め言葉を頂くことがありました。
そういう写真が撮れるようになって行ったのは、
間違いなく彼女のおかげです。
大切な瞬間を全身で噛み締めながら残す。
そのために、ボクは撮影機材に拘りました。
高い機材も無理をして買いました。
ただ残念ながら、撮影の腕は
お金を払っても手にいれられません。
だからその分、ボクは機材で補おうとしました。
すべての瞬間を後悔なく残すためです。
「自分は下手だ」と思う人ほど、
高価なフラッグシップ機を使った方がいいです。
フォーカスも露出もとても高性能で
基本的な設定さえ間違えなければ、
ほとんど失敗しませんから。
Leicaを本格的に使い始めたのは
彼女を撮らなくなって、暫く経ってからです。
なぜなら「失敗してもいい」
自己満足のためだけの写真しか撮らなくなったからです。
「絶対に失敗したくない」
という目的では、Leicaは敬遠してしまいます。
Leicaで絶対失敗しないためには、
それなりの慣れと技が必要です。
ボクにはそれはありません。
彼女を撮らなくなってから、
写真に対するモチベーションが大きく低下しました。
撮る目的が無くなった訳ですから、
当たり前といえば当たり前かもしれません。
カメラやレンズをすべて売って
手元に残さず綺麗さっぱりしたこともあります。
それでも写真を撮り続けているのは
ブログにコメントしてくださっている皆さんや
親しくしてくれている
仲間たちのおかげだと思っています。
ただ、失った目的があまりに大きすぎて
正直なかなか心が動かない、というのが本音です。
今でも
「あいつが居たらこういう写真を撮るよなぁ」
と思いながらシャッターを切ることがあります。
彼女の写真は本当にたくさん撮りました。
改めて数えてみたら、彼女の写真だけで
5万3千枚を超えていました。
本当によく撮りました。
でももっともっと撮りたかった。
彼女とは本当にたくさんの場所へ
出かけました。
それは彼女が、幼少より行動を制限されていた
ことに対する反動でもあります。
あまりにたくさん出かけたために、
都内近郊はほとんどの場所が
想い出の地になってしまっています。
街のあちこちに記憶が
染み付いてしまっているんですよね。
嬉しい反面、歩いて景色を見ると
辛さも甦って来ることがあります。
「写真やめようかな」とふと思うことがあります。
でもそのたびに昔撮った膨大な写真を見返し、
「またあの瞬間が撮りたいな」と
思い返して踏みとどまります。
もちろん昔と同じ瞬間なんて絶対に
撮れっこないんですけどね。
ええ、わかっています。
でも、ボクがファインダーをのぞいている限り、
きっとまたそういう瞬間が訪れる日が
来てくれるんじゃないだろうか?
と倒錯した思いに希望を繋いで
カメラを持っています。
このブログも過去の日記として
つけようと思い、書き始めました。
途中で思い出すのが辛くなって
何度も挫けて中断しました。
でも、どうしても書ききらないと、
何だか前に進めないような気がしていました。
本当の最後の最後のシーンまで
書けなかったのは、ボクの弱さと
あまりにあっけなかったことが理由です。
「人ってこんなに簡単に居なくなってしまうんだ」
突然足元をすくわれ、
気がついたら転んでいた。
一体何が起きたのかわからない。
そんな感じだったからです。
結構な時間が経った今でも
その感覚は変わっていません。
だからまだ、彼女が居なくなった
という実感が持てないのかもしれません。
ドラマのような劇的で印象的なことは、
ありませんでした。
ただ冷徹で残酷な事実が、
青空が月夜に変わるように
ひたひたと確実に訪れるだけでした。
今は少しだけ心が整理された感じがしています。
そしてちょっとだけ寂しさが
心の底からにじみ出てきています。
さて、書けばきりがないので、
この辺にしておきます。
このブログをどうしようかは、
まだ何も考えていません。
この後も何かを更新すべきなのか、
それともピリオドを打つべきなのか。
ゆっくり考えて行こうと思います。
これまでご覧頂いた
すべての皆様に深謝。
by nanase-kana
| 2013-03-24 14:24
| 回想